失敗に終わった企画に次はあるのか

小山薫堂氏(以下、小山):僕と秋元さんで一緒にやって失敗したのがいくつかあるんですけど、1つはおニャン子のあとに、「ねずみっ子クラブ」というのをやったんですね。

(会場笑)

小山:おニャン子は高校生だったんで、「小学生だ!」とか言って、秋元さんが企画して。それで、日テレのとんねるずの番組で、「ねずみっ子クラブとは!?」ってやったんですけど、全く当たらなかったんですよ。

その後、僕は今でもあの番組おもしろかったなと思って。それは秋元さん企画で、僕が構成だったんですけど『最大公約ショー』というのをやったんですよ。TBSですかね? 選挙の公約が流行った時代で、「公約をエンターテイメントにしよう」とか言って。

秋元康氏(以下、秋元):青島(幸男)さんが公約したとき。

小山:あ、そうだ。自分が通ったら「都市博(世界都市博覧会)をやめる」って。

秋元:95年ですよ。

小山:ええ。それで、確かあのときにやって。毎回、芸能人の人が出てきて、「もし今度何とかをできなかったら、僕は何とかします」って宣言して、後にそれがどうなったか追っかけてその公約通りにやってもらうみたいな。

齋藤太郎氏(以下、齋藤):水曜21時ぐらいのやつですね。

小山:そうですね。ものすごく企画がおもしろいなと思ったんですけど、あれがダメで。

さっき秋元さんがおっしゃった鉄棒みたいな。誰も注目してなかったところの失敗で、実は、いまだにあの番組を、「何かあったら、あれを焼き直したやつできないかな」という(笑)。失敗した石は捨てずに持っておくという思いがあるんですけど。

秋元さんもやっぱり、ああいう失敗したのって、「もう1回やろう」と思うんですか? それとも、「もうそれはいいや」って捨てちゃうんですか?

秋元:いや、やっぱりありますよね。小泉今日子さんの『なんてったってアイドル』というのは、前に何か違う形でやっていたものを、やっぱりどうしても、ああいうアイドルが楽しいなと思ってやったんですけども。

確かに「ねずみっ子クラブ」とか、『最大公約ショー』ってなぜ当たらなかったのかなと思うと、当てようと思ってなかったよね。

(会場笑)

秋元:それはなぜなら、やれることが楽しいんですよ。

小山:ああ、そうですね。

「当たらなくていい企画」と「当てにいく企画」

秋元:とんねるずとは、そういうところが多いんですけど。それが視聴率取れなくても、やっている本人がおもしろい。それの究極が『オールナイトフジ』だったりするんですけど。

たぶん、みなさんそうだと思うんですけど、やっぱり人間って「ここぞ!」っていうときの、「ここぞ!」で勝てるか勝てないかが勝負だと思うんです。

だから、僕は映画を何本もやっていて、一番始めに『君は僕を好きになる』という東宝でやった映画が大ヒットして、そのあと自分で監督した『グッバイ・ママ』という緒形拳さんと、松坂慶子さんの映画もヒットして、「あ、映画楽勝だな」って思ってから5〜6作当たらなかったんですよね。

でも、それがなぜ当たらないかというと、当たろうが当たらなかろうが関係なくて、自分が作りたいものを作っていたんですね。僕らの仕事ってすごくわかりやくて、パーティに行ったら、映画関係者とかがみんな「秋元さん、また何かおもしろいの」って目が……やる気がないんでしょうね。

明らかに社交辞令。だんだん「秋元さん何かないんですか?」って言っている目が、話しているんだけど、違う人を探している。

(会場笑)

齋藤:当たってないから。

秋元:当たってないから。「ああ、こうやってチャンスというのは失われていくんだな」というのが。でも、たぶんみなさんだってそうだと思うんですよ。

会社がいいときは、みんな集まって、だんだん「あれ? 何か人が集まってこなくなったな?」という感じだった。

それで、今回は当てなきゃいけないと思ったときに、人はどうするかというと、まずバットを短く持つんです。当てにいくから。長打ではないんだ。

つまり、AKBみたいなのは、もうバットを一番長く持って、当たらなくても全然いいと思って秋葉原に劇場作ってるんですよ。(一方で、)バットを短く持って「今度この映画がコケると、たぶんもう映画できない気持ちになるな」と思って、バットを一番短く持って作ったのが、『着信アリ』というホラー映画なんですよ。

これは、ホラー映画だから、ある程度の層は間違いなく入るんです。そこに三池崇史さんという非常に優秀な監督を持ってきて。それから、その当時まだそんな有名じゃなかったんですけども、「絶対に来る」と思ってたので、柴咲コウさんにお願いして。

これはもうバット短く持って、大ヒットはしないけれども、確実に塁に入れるというのはやりました。

企画の良し悪しは「誰に出会うか」で変わる

秋元:たぶん、薫堂くんの『おくりびと』なんかは、やっぱりバットを長く持って、薫堂くんがやりたいこと、つまり映画好きな人たちが集まってやったというのが……。あれは当てにいってないでしょうか?

小山:いや、全く当てにいってないです。ただ、賞は取りたかったんですよね。

秋元:だって、あれは公開まで結構時間あったんだけども、誰も見向きもしなかったですよね。(注目を浴びたのは)外国の賞を取ったとき、あそこからだよね。

小山:そうですね。モントリオール映画祭で賞を取ったのがきっかけでした。僕、最近思うのは、企画って「何をつくり出したか」というのが大切なんですけど、それ以上に、「このつくり上げた企画が、誰に出会うか」ということが、すごい大切な気がするんです。

例えば、さっき言った『最大公約ショー』とかも、あのときはテレビ局の番組のプロデューサーに出会ってしまったので、その企画が視聴率がとれなかった瞬間に、もう「つまんない」と思われたんですけど。

もし今の時代、「これって何かネットのコンテンツになるな」という、そういう社長さんにもし出会ったとしたら、「これでポータルサイト1個つくりましょうよ」みたいになってたら、また変わってたかもしれない。

なので、失敗した企画ってまだ、たまたま出会った男が悪かった自分の娘みたいな、そんな気分で探してしまうんですよね、新しい人を。

僕、大学生の頃にTシャツ屋をやりまして、最近それも当てようと思って。秋元さんが『おニャン子クラブ』をやっていたときに、おニャン子クラブのメンバーがセーラー服を着て、バカ当たりしてたのを観て。

「これだ! テレビに出る人にこれを着せればいいんだ!」というので、その『夕やけニャンニャン』の司会の吉田照美さんと組んで、バナナトリップというバナナのキャラクターを作って、それを照美さんが着て、『おニャン子クラブ』に出ると。

それで一儲けを企んだんですけど、そのときはまだ若くてダメだった。やっぱり、それを吉田照美に着せてしまったということが最大のプランニングの失敗だったんですよね。それは10ヵ月でつぶれまして。

でも、そのバナナのキャラクターはいまだにずっと大切に持っていて。それで、この間BEAMSの設楽(洋)さんに、「これでどうですかね?」という話をしたんですよ。設楽さんも「いいじゃないですか、やりましょうよ」って言って。

そのときに、やっぱり僕としては吉田照美さんという人を抜きにしてはできないんですよ。恩として。それで、設楽さんから「吉田照美なしだったらやります」って言われて。

(会場笑)

小山:それで、「じゃあ、無理です」と。「そこまではちょっと、照美さんありきで」と。だから、そのキャラクターは眠ったまま。照美さんセットで(笑)。そういうのはありますけどね。

遊びの発想から生まれた、ドリームキャストのCM

齋藤:秋元さん、さっきの「ねずみっ子クラブ」とか『最大公約ショー』は、当てを伴わなかったから失敗したという話があったじゃないですか。一方で、一番初めの鉄棒の話というのは、みんながやってないことをやるとか、バットを長く持つという話があるんですけど、何となくおっしゃってることがちょっと矛盾してるのかなと思ったんですけど、どう違うんですか?

秋元:つまり40代、30代……覚えてないんですけど、とにかく初めは、僕は放送作家になりたかったわけでも、作詞家になりたかったわけでもなかったので、遊んでたんですよね。ずっと遊んでて。

だから、ほとんど何か真剣にやったことがないんですよ。だからもう遊んでるうちに、たまたま当たっちゃったみたいなところがあったんで。でも、だんだん責任が出てくるようになると、真剣に当てようかなと思い始めたということですね。

だからそのときに、『最大公約ショー』なんかも、古舘伊知郎さんが司会だったんですけど、古舘さんと話してて「こういうことやろうよ」という、遊びみたいな。

とんねるずも、ねずみっ子だって真剣にやってると思えないんですよ。だって、おニャン子があって、だからねずみっ子って。普通もうちょっと考えますよ。その冗談がおもしろかったんでしょうね。

だからそういう遊びか、でもやっぱり、当てようと思うときというのはちゃんと考えるし。考えるんだけど、ベースは遊びですよ。自分がおもしろいと思わないと。

例えば、セガのコマーシャルをつくったときに、セガのドリームキャストというゲームが出ると。これをつくるときに一番考えたのは、ソニーのプレステが圧倒的に強かったんで、これをいくら「ドリームキャストというゲームが出ますよ」と言っても、その前のセガサターンがぼろ負けしてたので。

「これは勝てないだろう」と思ったので、「それをコマーシャルにしちゃおう」というので、当時セガの専務だった湯川(英一)専務にお願いして、セガのコマーシャルなのに、「プレステのほうがおもしろいじゃん」というのをやろうとか、そういうことが遊びですよね。

責任を取るか、企画のおもしろさを取るか

秋元:企画というのは抗生物質と漢方薬があって、漢方薬でじわじわ効いていく企画と、「そうは言ってられないんだ」と。「すぐ結果を出さなきゃいけない」という抗生物質と、両方あるわけですね。

つまり、咳やくしゃみを早く止めたいんだという抗生物質と、(漢方薬で)体質改善しなきゃいけないと。その両方をどうやって使うかということは考えますね。でも、昔は薬という考え方でなくて「おもしろければいいんじゃないの?」というのがずっとあったと思う。

齋藤:効かなくてもいいと。

秋元:はい。

齋藤:それはやっぱり、「当てたいな」というときと、「おもしろければ(当たらなくても)いいんじゃないか」というのを、行ったり来たりするんですか? それとも、おもしろいことをベースにやりつつ……。

秋元:みなさんもそうだと思うんですけども、どんどん年を取ると、自分がおもしろいかおもしろくないかというのが一番大きいですね。それと責任ですよね。

齋藤:そこの責任というのは、当てなきゃいけないということですか?

秋元:当てなきゃいけないと。だって、それはいろいろ託されるわけだから。昔はある種、外野なわけですよ。例えば番組をつくるのでも、プロデューサーがいたり、ディレクターがいたり、僕らは放送作家ですから。

でも、だんだん託されるようになると、それは考えなきゃいけないなと思うんです。昔、会議室にいても、若い作家の中の1人に薫堂くんがいたわけだけど、だんだんチーフになったり、企画構成になってくると、あんまり冒険できなくなってくるでしょう?

小山:そうですね、そういうのありますよね。最初に戻りますけど、僕が思うのは、自分が楽しいか、誰を幸せにするのか、それは新しいのかと。毎回自分が楽しいやつだけだと、たぶんダメだなと思うんですよね。でも、たまにそれを入れておかないとやっぱりダメですよね……何か、もうちょっといいこと言わないと(笑)。

秋元:いいことタイムにしよう。

(会場笑)

小山:すごいやっぱり気になるのは、メモ取ってる人少ないじゃないですか。だから、メモを取ってるポイントが少ないんだろうなと思って。

(会場笑)

完璧じゃない企画を世に出すことの意味

秋元:それはやっぱり、ここに集まっている方はそれなりの地位があって、それなりの成功をされている方で。これが大学生とかの講演をすると、もう冗談みたいなことまでメモ取るんですよね。「昔のガールフレンドが……」とか、それまで取る。それとはちょっと違うと思う。

でも、もう時間ですから、企画のポイントとか。みなさんも何かのときに、「薫堂はこんな5つのポイントがあるって言ってたよ」みたいな。

小山:僕、これポイントでも何でもないんですけど。最近企画を立てるときに、自分に言い聞かせる1つのことがありまして。

日本最初の天気予報というのを、いつも思い出すんですよ。今って、天気予報といったら、それこそピンポイントでわかりますよね。品川プリンスホテルの明日の天気とか、東京ドームのとか。

日本最初の天気予報をちょっと調べてみたら、日本全国の天気予報なんですよね。日本全国の天気予報で、気象庁の前身が初めて発表してるわけですよ。明日の天気。「おおむね晴れるが、ところによって風雨あり」みたいな。

取りようによっては、別にこれ(必要ない)。しかも、日本全国の天気を予想されても困るじゃないですか。でも、あの「天気を予報する」という行為があったからこそ、100年経った今、ここまで進化していると。

つまり、自分でつくり上げなくても、自分が1歩踏み出せることを企画しておけば、後世になって何か役に立つんじゃないかなと思うと、完璧じゃない企画でもやってみようと思うようになったんですよ。

今までは、完成されてなきゃいけないとか、それをやったことによってすぐに結果がわかったり、儲けなきゃいけない、みたいなのがあったんですけど。最近は、とりあえず1歩を踏み出しておいて、失敗したとしても、何か意味があるんじゃないかなと思うようになりましたね。

齋藤:お二人はいわゆる実績があるから、周りがわからないと思っているものも、託してみようと思わせる何かがあるんですよね、きっと。

小山氏が始めた「湯道」の目的

小山:僕は今、自分で「湯道」というのをやっていまして。お茶の道が茶道で、お風呂に入るという。銭湯も好きですし。

何で湯道をやろうかと思ったかというと、フランス人と結婚した僕の知り合いが、旦那を連れて箱根の温泉に行ったんですよね。

箱根の温泉に行ったときに、旦那さんに「男湯に入ったら、まずきれいに体を洗ってから湯船に入りなさいよ。日本はそういう国なんだから」って言ったらしいんですよ。

そしたら旦那さんは、男湯に行って脱衣所で服を脱いだら、その脱衣所にいっぱいシンクがあったんで、これだと思って、そこで体を洗ったらしいんですよ。

(会場笑)

小山:脱衣所で体を洗って中に入っていったら、中で洗っている人がいて恥をかいたと。確かに、外国人にとってはあまりにもミステリアスな……でも、お湯ってものすごく日本にとって観光資源じゃないですか。

あと、飲める水を沸かして、それに人が入るというこんな幸せな国ってあんまりないですよね、地球上で考えたときに。いまだに何億人の人がお風呂に入れずに亡くなってるみたいなことで。

そういう中の湯道を始めておけば、400年後に千利休が今、千利休であるように、一応開祖としての名前が残るんじゃないかなと。それで、湯道を今ちょっと始めて仲間を集めているんですよ。

齋藤:なるほど。それは、自分が最初おもしろいなと思っていることを思い続けていくと型ができてくるみたいな。

小山:そうですね。あと、湯道は2つ目的がありまして。

1つは子供への教育。「湯塾」というのをやりたくて。銭湯の空き時間を使って、お風呂に入るというか、人にいかに迷惑をかけずにお風呂に入るかというのを銭湯で教えてもらえるようなことをやったらおもしろいんじゃないかなと。

そういう学びの場であると同時に、日本の手仕事が、伝統工芸を守るための道具を開発していくというのをちょっとやってみようかなと思って始めました。

齋藤:小山さんの興味持たれる昔からの文化とか、ちょっと極端な言い方をすると、若干何か文化的、スノビッシュ的なところが強いのかなという感じが。

小山:いや、そういうわけでもないんですけど。ただ、いつも自分の中での企画を引っ張り出すときのキーワードは「もったいない」という。「これ、もったいないな」って。勝手に「テコ入れ」って自分では言ってるんですけど。世の中の「もったいないな」と思うものを勝手に自分で「僕だったらこうするのにな」とか。

齋藤:価値の底上げというか。

小山:ええ。それを空想妄想しているうちに、それが実際にできるチャンスをもらったりとか、そのチャンスを見つけることができるので。勝手にテコ入れ、「もったいない」という言葉をやってるんですけど。

そのときに今の伝統工芸とか、みんな一生懸命やっているのに、今ひとつうまくいかないところもあるので、これは何か、海外の人がもっとわかりやすくくっつけられないかなというので、湯道をちょっと考えました。

齋藤:一方、寿司ゾンビを考えた。

視聴者の目を止めるために必要なこと

秋元:薫堂くんと僕が企画の2本立てになっているのは、やっぱり薫堂くんがさっき言っていたように、漢方薬ですよ。じわじわ効いてきて、本当に何十年か後に湯道というのがある。「昔、薫堂くん言ってたよね」というふうになると思うんですよね。

例えばクールジャパンもそうですけど、やっぱりそういう伝統工芸のものを広く海外に紹介しようとしても、何かきっかけがない限り、みんな来ないでしょう。

だから、僕はやっぱりそこに抗生物質が必要だと思っていて、まずそれが見たいんだ、それが欲しいんだということをつくっていかなきゃいけないと思っています。

僕は今、ニューヨークで忍者のミュージカルをつくってるんですけど。それも、忍者というのがそこのミュージカルで当たって、それが日本に来るきっかけになってくれたらいいなとか、そういう忍者ミュージカルに人が集まるというところから、何かが広まっていくという。

もともと昔は、往来に香具師がいて、いわゆるその香具師の人が歩く人たちの足を止めるためにどうしたかと。

いわゆる露天商の人たちがいっぱいいるじゃないですか。ガマの油とか何とか。そのときに「ヘビが飛ぶよ」って言うんですって。これ、古舘伊知郎さんに聞いたんだけども。「ヘビが飛ぶよ」ってだみ声で言うんですって。そうすると、「えっ? ヘビは飛ばないでしょう」と思うから、みんな足を止めて、「なになに?」って来ると。

僕はやっぱり、今必要なのはこの「ヘビが飛ぶよ」というキーワードで。「ヘビが飛ぶよ」と思ったときに、それはもしかしたらテレビを観たり、Netflixを観たり、Huluを観たり、何かに止まるんですよね。

だから僕はこの「ヘビは飛ぶよ」というのを常につくらなきゃいけないと思ってて。そうしないとみんなどんどん慣れてきてしまうし、刺激がなくなってしまう。

「記憶に残る幕の内弁当はない」

だから、僕のヒット企画のポイントというのは、まず「記憶に残る幕の内弁当はない」ということ。これはもう一番ですね。

会議をやればやるほど、僕が、例えばこの1品で勝負しようと思っても、「いや、それじゃあ肉を食べられない人どうするんですか?」「お魚食べられない人どうするんですか?」ってどんどん増えて、結局は幕の内弁当になっちゃうと。

だからもう、1品でいいんだと。例えば、世の中に梅干しだけの日の丸弁当を出したいと。まさか世界一おいしい、梅干しだけの、白いご飯の日の丸弁当が出るわけないと思ってるところに出すから価値があると。

でも、さすがに日の丸弁当の梅干しだけではおかずにならないから、お魚入れましょう、お肉入れましょうって結局は幕の内弁当(になる)。これは絶対記憶に残らない。

みなさんも、今まで食べた幕の内弁当で一番うまかったものなんか絶対覚えてないでしょうけど、ウナギ弁当とか、釜飯とか、カレーとかは覚えられるじゃないですか。だからそれが1つと。

それから、「あの」がなきゃ絶対いけないといつも思ってるんですね。例えば『おくりびと』というタイトルは覚えられなかったり、思い出せなかったりするけれども、「ほら、死んだあとのあの映画」という……「あの」がちゃんとあるんです。だからヒットする。

「あの」があると、「ほら、あの秋葉原でいっぱいいるグループ」、それがAKBだったり。みなさんの事業と僕らの仕事は違うかもしれないけど、コンテンツだと「あの」が付いているか付いていないかというのはすごく大きいんですよね。

だから差別化で言うと、「あの何とか」というのがあるかどうかは、僕の中では一番大きいかもしれませんね。

齋藤:ビジネスでも「あのサービス」とか「あの会社」とかやっぱり言われますもんね。

ビジネスとクリエイティブの使い分け

齋藤:どうしても聞きたいなと思うところは、お二人はそういった形で、(企画を)当てなきゃいけないという、全体管理のプロデューサーなどのビジネスマン的な要素と、脚本を書いたり作詞をしたりという、非常に作家性の高いところと両面お持ちだと思うんですけど。

その辺の使い分けというのは、「自分の今の仕事は、俺が書いちゃうと下のやつが書かねえな」とか、その辺の何かアクセルを踏む踏まないというのはあったりするんですか? 一番テンポを握っているお二人が好きなことをワーってやっちゃうと、周りが手を止めちゃうとか。

秋元:やっぱり、薫堂くんはすごいビジネスマンだと思います。ちゃんとフレーム、会社を経営してるし。でも、そこのいやらしさが全然出ないのは……。本当にいやらしくないんですよ、この男は。女の子にはいやらしいかもしれないけど(笑)。

(会場笑)

秋元:でも、ちゃんと考えてるんですね。やっぱり僕が難しいなと思うのは、僕らの仕事って、やっぱり画家と画商を兼ねることは難しいと。つまり、自分で作品を作って、それで値段を付けてっていうのはできないわけですよね。

でも僕の場合は、たまたまそういう人がいなかったから、自分で作ったりせざるを得なかった。だから、自分で全てをやるということは決してよくないんだと思うんです。本当はクリエイティブとプロデュースを分けるとか。

自分の中ではそういう気持ちがありますよね。例えば「これは自分は書けるけども、これよりもこういう部分でやってもらったほうがいいな」とか。そういう意味で、「これは薫堂くんにやってもらったほうがいいですよ」とかいう機会もすごくあるし。

齋藤:そういう意味では立場を使い分けるんですね。

秋元:使い分けるというか、自分は向いてないなとか。ビジネスもそうなのかもしれないですけど、自分が何ができないかがわかると、できることが見えてくると思うんですね。

自分が何でもできると思うよりは、これはもう得意じゃないなとか。例えば、僕がアーティスト系の作詞をするときは、僕の名前で出さないんですね。秋元康という名前でプロデューサーとか作詞って出ちゃうと強すぎるんで。

齋藤:「あの秋元先生」になっちゃうわけですね。

秋元:だから、そのときは違う名前にするとか。そういうことは考えますけど。経営はどうですか?

非凡な商才を発揮する、小山氏のビジネス展開

小山:いや、そんな全然。経営っていうほどの、みなさまの前で言うほどじゃないんですけども(笑)。

秋元:でも、レストラン経営も。

小山:そうですね。ちなみにさっき、「記憶に残る幕の内弁当はない」とおっしゃいましたけど、下鴨茶寮の幕の内弁当はすごいおいしい。

(会場笑)

秋元:下鴨茶寮を買った男ですから。

小山:いやいや(笑)。

秋元:僕の周りで、放送作家で京都のあの名旅館を買って……11億だっけ? それを買って経営して、そこの下鴨茶寮のブランドの付いたものをいろいろ展開して、すごいと思うんだよね。

齋藤:(フランシス・フォード・)コッポラさんなんかも来てましたよね。

秋元:そういう経営者なんですよ。何か『おくりびと』のぬいぐるみというか、それを着た商人なんですよ。

(会場笑)

秋元:くまモンの中には、この経営者がいるんですよ。下鴨茶寮が。

小山:ちょっとやめてください。僕がせっかく築き上げてきた「いい人イメージ」を。くまモンを笠に着て、儲けてもないですよ。

齋藤:下鴨茶寮も、かなりリスク取ってますよね。

小山:そうですね。

秋元:今度、ニューヨークも買ったりするんですよ。

小山:え?

秋元:ニューヨークで温泉やるんじゃなかったっけ?

小山:ああ、それは別に下鴨茶寮と関係ない。

秋元:違うの。

齋藤:ビジネス展開がすごい(笑)。

小山:質問はプロデューサー通してください(笑)。

(会場笑)

秋元:プロデューサーと、作家と、ビジネスマンを兼ねられているんです。

小山:いや、僕は20代の頃からそうだったんですけど、ずっと老後のことばっかり考えてまして。20代の頃に番組を作っていたときも、老後におもしろいものを観ると。「これおもしろかったな」と思いながら、自分の思い出にひたりながら観るための番組をストックしてるぐらいの気持ちでやってたんですよね。

それで、今は60ぐらいを過ぎたら、仕事は本当に書くことだけをやっていったら、本当に素敵な老後になるだろうなと思ってるぐらいです。そんな深い……。

齋藤:書くのは好きだと?

小山:ええ。

秋元:老後を考える放送作家なんかいないですよ。そんな守りに回るような。だから、そこはやっぱり新しいといいますか。

齋藤:老後は今も考えてるんですか?

小山:僕、常に考えてますね。

齋藤:秋元さん考えてなさそうですよね。

秋元:僕、考えてないですね。「おもしろいことができたらいいな」ということでしょうね。小山くんは、いろんな貯蓄とかもしてね。資産運用とかね、そんな感じするよね。

齋藤:なんか、すごいそっち持っていきたがりますね(笑)。

(会場笑)

小山:自分の資産を隠すために、いつも僕をダシに使ってる(笑)。

制作協力:VoXT