おもしろくないヤツは、おもしろいヤツにお金を払っていればいい
(以下、西村博之氏の語り)
結局さ、その見て欲しいやつってのはおっきい文字とか、水色とかオレンジとか、色変えたりとかいるわけじゃん。「見て欲しい」っていう時点でやっぱおかしいんだよね。その面白い文章っていうのを同じレベルで書いてたら、面白い文章がそのまま取られるわけじゃん。
でも自分から面白くないからなんか色を変えたりとか、サイズを大きくしたりとか、特殊なところでこう無理やり目立とうとするわけじゃん。それやっぱりそもそも面白くないから、色だったりサイズだったりっていう別のもので補完しようとしてるのね。その才能を補完しようっていう気持ちは分かるんだけどさ、でもやっぱり面白くないやつが何やっても面白くないのよ。それだったら金払っとけっていう。
だってその人がお金払えば、他のなんか面白い生放送の人とかに帯域が広くなったりとか枠が広がったりとか、面白い人が幸せになるでしょ? 面白くない奴は別に無理しなくていいから、とりあえず金だけ上納しておけっていう話ですよ。すみません。いや~なんだろうな。でもまぁ上納って言い方は良くないとはみんなに言われるとは思うんだけど。
基本的にやっぱりそのなんだろうな、自分の必要だと思うものにお金を払うわけじゃん。米食いたいから米を買うとかさ。浜崎あゆみが好きで、浜崎あゆみにずっと曲出して欲しいから浜崎あゆみのCDを買うとか、やっぱ何か自分が欲しい物に対してお金を払うと思うんだよね。
で、払ってそのお金が相手の人に行けば、その相手の人は同じようなものを作ったらやっぱりお金くれるんだっていうので、似たようなものを作り続けるわけじゃん。そうすると幸せになれるわけじゃん? 作ってる人もそうだし、それを手に入れる人もそうなわけじゃん。
そういう意味でね、お金をどう使うかって結構重要だと思うんだよね。例えば僕はホワイトバンドとか嫌いなんですよ。あれにお金を払うことで、世の中がどういう風になるかっていうのがよく分からない。それぐらいだったら、農家とか物作ってる人に払う方が全然いいと思うんだよ。そしたら物作ってる人たちがそのお金をもらって、新しいもの作るじゃん。ホワイトバンドにお金を払って、それ何の意味があんの? なんか広告で消えるだけでしょ? って話じゃん。
あと最近ちょっと気になったのはテレビCM。プライムタイムとかに、まぁその9時とか10時ぐらいってなんかだいたい1000万とか2000万とかお金かかるわけですよ、30秒間の何かを告知するのに。例えば、1000万2000万っていうお金があったら、人の人生変えられるんだよね。だって車椅子って例えば1台20万ぐらいで買えるわけじゃん。したらそれが50台とか買えるわけですよ。
そしたら、毎週なんかこう「冠スポンサーです」って言ってる奴が、なんか良くわかんない電通とかテレビ局の社員にお金払うぐらいだったら、日本中に車椅子配れるんだよね。日本中で、車椅子はこの会社が供給してるから誰も買う必要がありませんっていうシステムを作った方が、その会社の評価って上がると思うんだよ。
例えば松下がやりましたって言ったら、やっぱ「松下すげぇや」って話になるでしょ? そんなよく分からないドラマのCM打って、よく分からないタレントが出て、まぁその時は「オシャレだな松下」って思うかもしれないけど、みんなすぐ忘れるじゃん。それだったら「日本中の車椅子は私の会社が提供します」って言った方がよっぽどいいと思うんだよね。っていう計算も立たないんだよ、あいつらバカだから。はい、すみません。彼らは賢いと思いますよ(笑)。
何だろうね、その「バカだから」って言い方は良くなかったと思うんだけど、サラリーマンの人って同じことを続けても給料下がんないじゃん? そうすると、なんか営業代理店がいて「こうやったらいいっすよ。今までこうだったんすよ」って言って、同じことをやるわけじゃん。
別に言われて同じことやるんだったら、もうその人じゃなくていいわけじゃん。要はその人がいなくなって、後任が入っても何の変化もないんでしょ? そんなことして楽しい? 楽しいんだろうね、金もらえるから。
金で幸せは買えない
結局だからなんだ、給料とかお金とかっていうのは、その人にとってどれくらい大事なのかっていう話になると思うんだよね。お金を持って分かったことは、お金を持っても大して人生変わらないっていうことが、他の人に言えるようになった。昔から僕は想像上のお金持ちってこうだろうなっていうのは知ってたんだよ。
だって結局、ほとんど世の中のものって商品で価格がついてんのよ。だから価格のついてない商品ってほとんどないし、価格の付いてないものってやっぱり買えないのよ。そうすると価格の付いてるものが買えるだけなのね、お金のできることって。