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「失敗を恐れず、反対者たちは無視するべき」シュワルツネッガーが語る、ハングリーに生きる道

「失敗を恐れず、反対者たちは無視するべき」シュワルツネッガーが語る、ハングリーに生きる道

俳優で(当時)カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツェネッガー氏が、ジョージア州アトランタにあるエモリー大学で卒業生に向けてスピーチを行ないました。オーストリアで育ち、ボディビルディングで世界一を目指し、チャンピオンの座に上り詰めた後はハリウッドの俳優に転身。そこでも『ターミネーター』などの映画で大成功を収め、政治の世界へと進出。なぜシュワルツェネッガー氏は、次々と新しいことに挑戦し続けるのでしょうか? そして学び続けるのでしょうか? 常にハングリーでありつづけること、批判ばかりする人のことは無視して、自分を信じることなど、人生を前向きに生きるのに大切なことを、学生に向けて語っています。

シリーズ
卒業式スピーチ > Arnold Schwarzenegger's 2010 Emory Commencement Address
2010年5月10日のログ
スピーカー
Arnold Schwarzenegger(アーノルド・シュワルツェネッガー) 氏
参照動画
Arnold Schwarzenegger's 2010 Emory Commencement Address

シュワルツェネッガーがエモリー大学卒業式に登場

アーノルド・シュワルツェネッガー氏 ワグナー校長、評議会員と全教職員の皆さま、家族、友人たち、卒業生たち、今日この場に私を立たせてくださるすべての皆さんに感謝します。 これから栄えある法学博士号を授与される皆さんの前に立つことができ大変光栄に思います。私にとって初めての法学位をいただきます。ついにケネディ家は私の成功を認めてくれ、妻のマリアはやっと私を彼女の家族に会わせてくれるでしょう。 (会場笑) そして、何より卒業式の演説者としてここで皆さんの前に立てる素晴らしい日が大変名誉なことだと思っています。 アリゾナの卒業演説にもスピーチしに行ったのですが、私のアクセントが彼らから怪しまれて、オーストリアへ強制送還されそうになりました。だから、今日はすぐにその考えを捨てられました。 (会場笑) 今、皆さんのそれぞれが次の章へと進もうとしているところですね。私が今日ここに来たのは、お話をさせてもらい、皆さんを鼓舞し、ハッパをかけるためです。 もちろん、全員がいつもの私のようにハングリーになろうとはしないし、一癖ある激しい性格でもないでしょう。私が皆さんに言いたいのは、誰かが私に「それは絶対無理だ」と言ったら、すぐに出かけていってやり遂げるということです。それがいつもの私のやり方なのです。私の自慢できることと言ったら巨大な筋肉ぐらいですが、そのことは表情の裏にしまっておくのです。 皆さんに未来がないように振る舞ってはいけません。たとえアクセントがおかしくてもね。私の妻マリアが最初のデートで私に言ったのはアクセントのことでした。 (会場笑) そして私たちはゆっくりと進展して結婚したのですが、今では、彼女はこんなことはもう言いません。ともかく、卒業の日をお祝いしましょう。エモリー大学を2010年に卒業される素晴らしい男性、女性の皆さん全員を。 (会場拍手)

家族の愛、そして仲間の支えに拍手を送ろう

皆さんはこの国で今最も若い看護師、医者、先生、ソーシャルワーカー、大臣、芸術家、科学者、ビジネスリーダーたちであり、述べようと思えばまだまだ続きますが、皆さんは本当に素晴らしい集団です。 皆さんという大切な子たちの身体が大きく成長する中、この国の研究を引っ張っていく大学で4,000人近くの男性、女性が勉学に励み、環境問題、社会正義、公衆衛生などに奉仕しています。 皆さんは全国50州、世界75近くの国から来て、何十もの異なる言語を話しています。それも皆さん1人だけがその言語の話し手です。この数の多さはとても印象深く、なんて多くの言葉が話されているのだろうと思いました。そこで、私も残りのスピーチ全部をドイツ語で話してスピーチに少しだけ味付けをしてみようと思います。 (会場笑) (ドイツ語で話す)冗談です、皆さんに通じるかやってみました。困っている目が少し見えましたよ。 それでは皆さんの特別で注目すべき功績についてお話しをしましょう。もちろん家族の愛と援助なしには皆さんは今日ここにいなかったでしょう。素晴らしい仲間たちが皆さんを支えてくれたことに対し、ここで彼らに拍手を送りましょう。 (会場拍手) そして、大学と職員の皆さんの懸命な働きが今日の素晴らしい皆さんを作りあげています。同じく大きな拍手を送りましょう。 (会場拍手)

常に複数のキャリアを持ってきた

この数週間の間、私は今日何を話すべきかと少し心配していました。そこで、私のスタッフを少しここに行かせて、生徒の皆さんに調査をしました。面白かったのは、私のスピーチに求めることは、インスピレーションを与えることが17パーセント、23パーセントが実践的なアドバイス、そして30パーセントが映画、テーマソングがずっとなり続けるあの映画ですね。その映画から自分たちのお金を返してもらう、だったことです。この辺はあまりよろしくないですね。 それはともかく、残りの30パーセントは次のセリフを私に言ってほしいと答えていました。それではいきます。「地獄で会おうぜ、ベイビー」(ターミネーターの名セリフ)。「脳腫瘍なんかじゃない。そうじゃない」「敵を粉々にし、奴らが衝動に駆られるのを眺め、奴らの女の嘆きを聞け」「また戻ってくるからな」 皆さんを満足させたいと思ってやってみました。 私の成功のルールについて、夢を目に見えるようにすることについて皆さんに話したいととても思います。なぜなら、自分がやりたいことの中で何を成し遂げたいかを正確に知ることは大変重要だからです。 私の場合、ボディビルディングから演技、公共事業から政治、と常に複数のキャリアを持つという重要なルールが私を信じられない成功へと導いてくれました。単純にこのルールがものすごく効いたのです。 自分自身を信じ、ルールを破り、失敗することを恐れず、反対しかしない人は無視してハングリーでいてください。 言わせてください、私は自分自身を信じ、反対する人たちを無視したことで、複数のキャリアで成功し財産を築きました。

ボディビルのチャンピオンになり、アメリカへ

皆さんが15歳だった頃をイメージしてください。オーストリア人の若者が人々に向かってこう言うんですよ、「ボディビルディングの世界チャンピオンになるんだ」ってね。もちろん仲間たちはこう言います、「ちょっと待って。ボディビルディングはオーストリアのスポーツじゃないよ。スキー、サッカー、陸上でチャンピオンになるべきだよ。これがオーストリアだ。でもボディビルディングはアメリカのスポーツじゃないか」 でも、私にはボディビルのチャンピオンになるというとてもはっきりとしたビジョン、やりたいことがありました。そこで私は1日に1時間、2時間、3時間とトレーニングを重ねました。徴兵される18歳の頃までには、1日に4、5時間トレーニングをするようになり、至上最年少でミスター・ユニバース、20歳という若さで世界チャンピオンになりました。ありえないなんてことないのです。 そして、ハングリーでいるべきだと言われ、次の目標を追おうとその後すぐアメリカへと発ちました。私は人生でずっとアメリカに行きたいと思っていました。私は空っぽのポケットでここまでやってきましたが、夢にあふれ、希望に溢れていました。たぎる野心を秘め、私はここアメリカで新たに、きっと成功できるんだと決意しました。 可能性というのは無限大です。私はアメリカン・ドリームに生きたい。なぜなら、アメリカは機会を与えてくれる土地だからです。 私がそのように思ったのは、ボディビルディングのキャリアを続けられたからこそです。そして俳優も同じだろうと。そこでプロの俳優になる道へと進みます。 私はここに移住し、トレーニングを1日に5時間、6時間と続けて、次々に世界チャンピオンを獲得しました。私がボディビルディングを辞める頃には、世界チャンピオンシップのタイトルを113個獲得していました。誰も成し遂げたことがないことです。

ボディビルから俳優への転身

そしてまた、私は次に進もうとハングリーでありました。ボディビルディングは残りの人生ずっとは出来ないですから。ならば次に進もう、自分が踏み出したいのは俳優の道だと私の中で思っていました。 しかし、また人々はありえないと言い、前と同じ障害に直面しました。私が次の道をエージェントに話したとき、「君には俳優なんかなれないよ。映画の道に入るなんて」と言いました。私は「ただ俳優になりたいんじゃないんだ。私は主演俳優になりたいんだ」 その時起こった笑いを忘れてはいません。「そのアクセントで? アクセントのある奴は誰も主演男優になんかなれないだろう。それに君の体。見ろよ、この盛り上がって目立つ筋肉に鍛えられすぎた体。20年前なら映画が撮れたかも知れないが、今はダスティン・ホフマン、アル・パチーノ、ウディ・アレン、残りの新しいセックス・シンボルたち。絶対無理だから忘れるんだ。それに名前、シュワッツェンでもシュニッツェルでも何でもいいが、私にはもう広告板には1枚もチケットが売れていないとでている様子が見えるぞ」 でも、私はエージェントたちの言葉を聞かず、ボディビルディングの時のように一生懸命に練習し始めました。5、6時間演技やスピーチ、会話クラス、アクセントを無くすクラスに行き、考えられるすべてのことをしました。 そして、すべてのことがゆっくりと起こり始めました。彼らが話したすべての負債が財産に変わり始めましたのです。監督が来てこう言いました。「もし君がいなかったら、誰か別の人を鍛えないとならない。 私を見出してくれた監督はこう言いました。「想像できないよ。君のような体とアクセントを持つ人が見つかるなんて。でも、私は「また戻ってくるからな」というセリフが普通のアメリカのアクセントで話されるのが想像できないんだ。君のドイツ語のアクセントはパーフェクトだよ」彼らが負債と言ったすべてのことが財産になったのです。 刻一刻と時間は過ぎ、どんどん成長し、1週間が次々と経ちそれとともにどんどんお金を稼いでいきました。最後には『ターミネーター3』の3000万ドルというギャラによって、最もギャラの高い俳優になりました。 このことがまたもありえないなんてないと証明してくれています。だからこそ私は皆さんに、夢を目に見えるようにし、自分自身を信じれば、どんなことでも実現できるんだと伝えようとしているのです。

あらゆることに対して失敗を恐れるべきではない

知事になる時も同じでした。私がナイトショーに出席した時のことを想像してください。私はカリフォルニア州知事に立候補すると発表したのです。人々は私のもとに来たあと、「君は頭がおかしいのか、今夜のショーでそんなことを発表するなんて。州会議事堂の公式のプレスカンファレンスがあるじゃないか。それに、知事職から始めるんじゃなく、最初は市長か上院議員からだろう」と言いました。それに対し、「私は上院議員にも市長にもなりたくない。知事になりたいんだ。分かりますか」 残りの歴史ですが、私は2003年に勝利し、2006年にも勝利しました。これは誰も知らないのであえて言わせてください。 あなたの一挙手一投足に反対する人を見つけるでしょう。その人のことを聞いてはいけません。ただあなたの行く方向を目に見えるようにし、行きたい場所をしっかりと把握してください。自分を信じて地獄のようなその場所を抜け出してください。ルールを壊して、絶対に失敗を恐れないでください。 もし私が失敗を恐れていれば、人生で1つのリフティングの試合にも出場できなかったでしょう。もちろん失敗する可能性はあります。私が500パウンドをベンチプレスする挑戦をしたとき、10回やって私は全て失敗しました。でも11回目にやっとできたんです。だから決してあきらめず、決して失敗を恐れないでください。なぜなら、そうでないとあなた自身が自分を閉じ込め、限界を作ってしまうからです。 私は知事になってから決して失敗を恐れませんでした。あらゆることに対して取り組んで失敗することを決して恐れませんでした。なぜなら、失敗を恐れるべきではないということは人生の一部だからです。 これらの原則のもと、色々なことに取り組んで私はとても楽しんできました。同時にたくさんお金も稼ぎました。もちろん、皆さんに言わなくてはいけません。どんなに成功しても、どれだけ年をとっても、いつもいっそうハングリーでいなくてはいけないと。決してもう十分学んだということはなく、いつもあなたには100の学ぶべき新しいことがあるのです。

ウィスコンシンでベンチプレスを指導する中で気がついたこと

例えば、私はこんなことを学びました。私は成長するとき、いつも偉大さは名声や財産と直接結びついていると考えていました。偉大なキャリアとお金、達成イコール成功であると。しかし、私は全く間違っていました。この間違いに気付いたのは、後になってから偶然によってです。 ウィスコンシン大学では、ウェイトトレーニングが知的障碍者たちにもたらす効果の研究を行なっていました。知的障碍を持つ彼らは、スペシャルオリンピックスというスポーツ大会に参加しています。研究者たちが私に、「アーノルド、君はこのテーマに関して専門家だ。大学に来て私たちの研究とスペシャルオリンピックスの選手たちを手伝ってほしい」と尋ねました。そこで、ウィスコンシン大学に飛び、彼らが一緒に活動する人たちを手伝うことになりました。 そこにいたのは子供たちでした。最初にやろうと決めたエクササイズはベンチプレスです。全員が一列に並び、最初の子供がベンチに横になりました。私は40パウンドのバーベルを胸の上に置き、シンプルにベンチプレスをするようにと指示をしました。彼は10往復の上げ下げをします。 最初の子は起き上がり、次の子が横になって私が胸の上にバーベルを置きました。するとその子の息が荒くなりました。そしてものすごい大きな声で叫び始めました。バーベルを押し戻し、飛び上がって震え始めました。 私は彼が重さを怖がっているのだと気付きました。そこで、私は大丈夫だよと彼を落ち着かせました。ベンチプレスしている友達を見ていればいいよ、もう一度やってみたくなるかもしれない、と。友達が来て素晴らしいパフォーマンスを見せると、彼はついに列に並びもう一度挑戦しました。ベンチに寝て、私は彼に20パウンドを渡し、彼は10往復しました。 もう少し重りのプレートを足したがっていることに気付き、「もっと重りを足すかい?」と言うと彼は「うん」と答えました。プレートを足すと、先ほどやった40パウンドになりました。10往復し、彼は「もっと」と答えました。2枚プレートを足すと60パウンドになり、また10往復しました。彼は「もっと」と答え、80パウンドをしました。その後、重りを外し飛び上がってみんなとハイタッチをしたとき、興奮に包まれていました。

自分ばかりを映す鏡を壊せ

私にとって、このことは本当に驚くべき発見でした。なぜなら、この短い間に彼が自信をつけたのは、私が影響を与えることができたからだったからです。 私は自分の影響だということにとても興奮し、その夜ホテルに帰ってとても喜ばしい気分で自分自身に語りかけました。「何が起こっているんだ? 待ってくれ、お金を稼いだわけでも、キャリアが進んだわけでもない。こんなに興奮する理由なんてないじゃないか」私が興奮した理由を皆さんに話しましょう。それは、手を差し出して助けを必要とする誰かを助けたからなのです。 私の兄、サージェント・シュライヴァーはケネディ・ジョンソン政権の間に、平和部隊、貧困者への仕事訓練の経費扶助や訴訟経費扶助、ヘッドスタートなど全ての重要なプログラムを始めた人です。彼はエール大学でスピーチをし、生徒たちに向けてとてもはっきりとこう述べました。「自分自身ばかり映す鏡を壊せ。壊せばその奥を見通せて、あなたの助けを必要とする何百万もの人々が見えるだろう」 彼が言ったことが、まさにその日私に起こったことなのだ、と分かりました。ずっと自分自身を映していた鏡を壊したのです。ずっとどうやったらお金持ちになれるか、どうやって有名になるか、どうやってお金を稼ぐか、どうやってキャリアを進めるかと考えてきました。でも、鏡を壊して、その奥に私の助けを必要とする特別な雰囲気があるのが見えたのです。 これはとても大きな学びでした。だから私は新しいことを学ぶためにハングリーでいるようにと言うのです。 ここ数年の間、私はスペシャルオリンピックスに携わってきました。国内コーチ、国際コーチにもなりました。さらに、スペシャル・オリンピックスの最初の聖火ランナーに聖火を渡す役目も行ないました。そして、世界中を旅して彼らを手助けし、アスリートたちを盛り上げ、彼らと共にスタジアムを行進しました。一緒にトレーニングをし、フィニッシュラインで待って、彼らをハグし、喜びを分かち合いました。私は彼らの周りにまとわりつくおせっかいな人です。

ネルソン・マンデラの偉大さとは何か

このことはとても素晴らしい、満たされる出来事でした。実際、その旅の中の1つで南アフリカへ向かったときは、私のヒーローの中の1人であるネルソン・マンデラに会い、偉大さについて語りました。ここでいう偉大さとは、私が以前考えていた偉大さとは異なります。 彼は黒人の南アフリカ人は皆平等であると信じていたため、27年間を刑務所の中で過ごしました。彼が刑務所から解放されたとき、復讐を考えるかわりに許しを語りました。マンデラは言います。彼の国を1つに集めるために最も大切なことは和解であると。 実は、刑務所から解放された後、彼はポップタルトの発案者である首相の妻と共に昼食を取りました。考えてみてください。彼を刑務所に入れた張本人と関係のある女性と昼食を取るんですよ。マンデラは愛、包容、そして寛容の生けるメッセージです。これこそが偉大さなのです。 他者を助け、鏡の向こうを見ることは、今日私が偉大さを測るときの指標です。このような考えを持つ自分に対してとてもいい気分がします。課外プログラムに行くかわりに、小さな女の子の助けになって彼女とチェスをして遊んだりする日はいいですね。映画のプレミアでまた次のレッドカーペットを降りていくのを考えてみてください。 私を招待してくださった理由の1つが私には分かります。公への私の献身を認める、とても光栄なことです。大学から依頼が来るということは、貢献した公そのものから認められるということであり格別な思いです。エモリー大学は質の高い教育を提供することで国中、また世界中で有名であり、またコミュニティや国に対して特別のサービスを差し出していることからもその名が知られています。

ジョージア州でスペシャルオリンピックスを主催したい

実は、私が今日ここでやりたいと思っていたことの1つは、ジョージア州で特別にスペシャルオリンピックスを主催することです。 エモリー大学の皆さんはこの20年でなんと大きな功績を修めたのでしょうか。大学そして大学の同士たちに大きな拍手を送りましょう。 私の義理の母ユーニス・ケネディ・シュライヴァーは40年以上前にスペシャルオリンピックスを始めたのですが、彼女の代理として皆さんに感謝します。彼女は昨年逝去しましたが、今まさに天国から笑顔で見てくれているでしょう。そして、私がスペシャルオリンピックスについて、素晴らしいグループを生み出した皆さんに感謝しながら話していることを知っているでしょう。彼女が始めたスペシャルオリンピックスの運動は世界を変え、連鎖反応を起こした輝かしい例です。その始まりは、1人の人が1歩前に進んだ、というとても単純なことです。 もちろん彼女にも反対する人はいたでしょう。なぜなら、反対するのは簡単だからです。彼女がスペシャルオリンピックスを開催したいと言ったとき、組織の外にいる人たちはみんな、専門家たちはスポーツをすることで知的障碍者たちが彼ら自身を傷つけ、互いに傷つくのだろうからやるべきではないと言っているからだめだ、プールで溺れるぞ、と考えました。 しかし彼女は反対者の意見を聞き入れませんでした。人間と人権のために行動し、キャンペーンをはり、絶え間なく呼びかけ押し続けました。彼女は決してノーとは言いませんでした。 そのおかげでスペシャルオリンピックスは世界179の国で開催され、何百万もの子供たちがスポーツに参加し、ヘルスケアやデンタルケアを受け、仕事を得ています。

アメリカは世界で最も偉大な国である

サマンサ、私のオフィスの特別ないたずらっ子。ジョンは私のオフィスで食事や手紙を運ぶ素晴らしい仕事をしてくれています。いつもより効率のいい新しい方法を思いつくんです。他の政治家たちも効率化する方法を知っているといいのですが。本当に。彼の部屋をのぞくと素晴らしいんです。そして、それぞれが同じように責任を持っています。彼らは本当によく尽くしてくれ、周りを良くしてくれます。 私は彼らを引き受ける責任をとても重要だと感じています。デニス、だから私はカリフォルニア州知事に立候補したのです。なぜなら3080万人の人に助ける手が届くのですから。彼らが私を信じてくれているから、私は満足しているのです。15歳の頃には、まさか私がカリフォルニア州知事になっているなんて思いもしませんでした。私は自分の夢をはるか超えていく幸運な人たちのうちの1人です。 これまでまったく夢にみていなかった今のもう1つ大きな夢が、州知事として7年間働くことです。まったく思いもよりませんでしたが、カリフォルニアのために尽くすことは、州だけでなくこの国や世界を改善することでもあります。 移住者として誰よりも多く恩返しをすることは大切なことです。移住者でなくても恩返しは大事です。でももし移住者として来ているなら、恩返しをすることは2倍大事です。この国は両手を広げて受け入れてくれました。この国は機会を与えてくれる土地です。もしアメリカに来なかったら、今までやってきたことの10パーセントすらも物事を成し遂げられていなかったと思います。 多くの人がアメリカに不満を言っていたとしても、これが疑いなく世界で最も偉大な国、アメリカです。私は言います「静かに。これが世界で最も偉大な国です」と。 これが、私が恩返しをしたいと思っている理由です。だから私は州知事になり、物事を変えて建てなおしていこうとしてきました。まずはカリフォルニアの基盤立て直し、労働者災害補償の制度改変、より効率的に動くための政府改革があります。さらに、地球温暖化と戦い2020年までに温室効果ガスを25パーセント削減すること。また、我々を憎む国々の原油に頼らないこと。 そう、我々は闘い続けるのです。政府が行っていることを見極め、政府環境政策が適切かどうかすぐにでも確かめるためには、最終的に連邦政府も打ち破ることでしょう。エネルギー政策はポジティブな変化の1つであり、私が追い求めているものです。

成功に対してハングリーに進んでいくべき

これら起こっているすべてのアクションは、私たちが一生懸命取り組んだことによって起きているのです。自分たち自身のことよりも、どうしたら国のためになるかを考えてきたからこそ起きた変化です。 そして私たちはこれから世界へと出ていきます。このことに関しては疑う余地がなく、皆さん一人ひとりが世界に出て行動することがこれから重要になるでしょう。 私は皆さんが私と同じぐらい野心家になって大きく世界に出ていくべきだと考えてはいません。皆さん全員が成功に対してハングリーに進んでいくべきではあると考えています。皆さん自身の跡を残し、ここでは人の目に留まり、あちらでは結果をもたらせるというようにハングリーであってください。しかし、皆さんが成功へと進んでいっても、他者を助け、鏡の奥まで見通すことを忘れないでください。 学校のサッカーチームのコーチになるとか、子どもを教える、引きこもりに食事を届けるといった簡単なことは止めましょう。カリフォルニア州には現在700万人のボランティアがいて、私は観光サービスを担当するようにと内閣官房長官に会った最初の知事です。この国で他の知事は誰も同じことをしていません。私たちは皆さんの可能性の力を用いて、世界の中でこの国をよりよい場所にしていきます。20ドルをポケットに入れてこの国へやってきたこの移民を見てください。2010年のエモリー大学卒業生の皆さんも上手くいくことを私が保証します。 私は皆さん一人ひとりがここまで来たこと、そして皆さんがこれからこの国そしてこの世界全体に素晴らしい貢献をしてくれるだろうことを誇りに思います。改めて卒業おめでとう。皆さんに神のご加護がありますように。そして皆さんどうもありがとう。

  
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