地域社会が課題を乗り越えるために、自分たちに何ができるのか

山崎亮氏(以下、山崎):ご紹介いただきました山崎です。国際交流基金アジアセンターのセッションということで、アジアからはラッティゴーン・ウティゴーン、日本からは永田宏和さんをお迎えします。

永田さんは、じつは10年以上前から関西で一緒に仕事をさせていただいている仲間です。お二人の活動をご紹介いただきます。

先ほど副題で出てきましたけれども、災害を含め地域にいろんな課題が出てくるなかで、地域の人たち自身がその地域の課題を乗り越えていくことに対して、われわれがどのようなアプローチを持っているかということについての議論を進めたいと思います。

最初に自己紹介も含めて、今回のセッションでどういうことを話し合っていきたいかということについてお話したいと思います。「地域社会の再設計から考えるアジアの未来」ということですが、地域社会を再設計するというのがどういう意味を持っているのか。

これは、誰かが神の手のように設計するということでは当然ないわけで、地域社会を再設計することの主体は、そこに住んでいる地域住民の方々だと思います。ただ、住民の方だけで再設計できるわけではないので、そこに何らかの専門家の支援が必要になってくる。

今日ご登壇いただくお二人は、専門家として支援する方々ですが、支援にあたってなにが大事になってくるのか。結論の一部を仮説としてご紹介するとしたら、多分「楽しさ」が大事になってくるのではないかと思います。

市民の方々に「地域を再設計するために集まって」と言っても、「よっしゃ! わかった」とすぐ来るというわけではなくて、やはりそこになにか魅力があるかどうか。楽しそうかどうか。

自分にとって得になりそうかというのは、やはり皆さん見てますので、それをどう設計、デザインしていくのかというのが1つの論点になるのではないかと思います。

「市民参加」を3つのフェーズで理解する

山崎:時代背景と共に語るとすれば、仮にいま「市民参加 1.0、2.0、3.0」と書いてみました。「市民参加」は、日本でもアジアでも、第二次世界大戦後くらいにほとんど同時期に盛り上がってきたものだと思いますが、1960年代に市民参加 1.0に値するような市民の活動が生まれてきたんじゃないかと思います。

これはおおむね「反発期」と呼べるような気がします。「反抗期」というと子どもみたいなので「反発期」と書きましたけれど、たとえば、行政や政府が勝手にダム開発の計画をつくっている。

それに対して「こんなところに道路を通さないでくれ」「この自然を壊さないでくれ」「この海を埋め立てないでくれ」といった反対運動なんですね。

あるいは、公害問題。「あの工場はもくもく煙を出す」「水銀を垂れ流す。なんとかしてくれ」という反対運動が起きる。あるいは消費者運動ですね。「企業はなにが入っているかわからない添加物いっぱいの食品をどんどん販売して、われわれは知らない間に買わされていた」と。そんな反対運動からはじまっている気がします。

ただ、反対ばかりではなかなか続かなくて、20年も経つと、「もっとこうしてほしい」あるいは「こういうことにお金を使いませんか?」と、市民が企業や行政に提案し、要望していくような時代になります。

日本においては1980年、90年くらいに高度経済成長期やバブルの時代を経験した人たちは、「行政の予算執行のやり方を無駄遣いしているんじゃないか、われわれにも提案させてくれ」とか。

あとは「環境問題が大きくなってきた。われわれも提案したい」というように、市民オンブズマン、オンブズパーソンの方々が、「こういうお金の使い方をしたほうがいいんじゃないか」とか、「こういうやりかたはまずいんじゃないか」とチェックして、いろいろ批評が生まれていくという時代があります。

もちろん、この第1期の市民参加 1.0と、2.0は、かたちを変えながら、いまも続いています。ですので、反対運動や要望、陳情は起きるべき場所に起きていますが、2000年くらいから顕著になってきたのは、むしろ「実行型」「実践型」、あるいは「活動型」と言えるようなものになります。

反対ばかりしていても仕方がないし、要望や陳情を言っても動かないことがある。もう活動を開始したほうがいいんじゃないかということで、動き出す市民というのが増えてきた気がします。

1998年にNPOの特定非営利活動促進法(NPO法)ができて、NPO法人が社会的に位置づけられるようになってきて、地域や社会のためになることを自らが動き出して、ここに「行政や事業も一緒にやりませんか?」と誘っていく。

そんな時代になるよう、日本もアジアもトライしているんじゃないかと思います。そんなときに、官民連携、パブリック、プライベート、パートナーシップですね。PPPということが言われたりですとか、オープンデータ。

行政が持っているデータを出して「民間の方々はなにか使いませんか?」というような問いかけでパートナーシップを持とうとする。そんな動きになってきています。

仲間を増やすために大切なのは「正しさ」だけではない

山崎:コミュニティデザインという僕の専門も、2000年以降に始めた活動で、基本は市民と行政と企業がパートナーシップを組んでコラボレーションをする。あるいは協働していくということを軸にやっていきます。そのときに大事なことはなにか。それを1つ、仮説として皆さんに提案したいと思っています。

市民参加 3.0に大切なことというのは、「楽しさなくして参加なし」ということではないかと思うんですね。市民参加は大事。でも、正しいことをずっと言っているっていうだけでは、市民の参加はなかなか増えないし、継続的にやり続けることができないというふうになってしまいます。

反発し、要望や陳情を伝えるときも、みんな正しいことをずっと言ってきたんですけど、どうも仲間が増えない。さらには、仲間が高齢化して少なくなっていくということを経験しているからこそ、僕らはより多くの人たちに興味を持ってもらって、より長くこのプロジェクトを続けていくと。

そのなかにはひょっとすると正しさだけじゃなくて、楽しさ、美しさっていう要素が必要になっていくんじゃないかと気づいたと思うんですね。そこにデザインという要素がとても重要な役割を示すようになってきた。

われわれの仕事のことを「コミュニティデザイン」と呼んでいますが、説明しなおすとすれば、「コミュニティー・エンパワーメント・バイ・デザイン」ということかもしれません。コミュニティーが地域を再設計するための力を取り戻すプロセス。

これを、デザインの力で支援するというのがわれわれの仕事であり、今日これからお二方にお話しいただく内容も、それも近いものになっているものになっているのではないかと思います。

そのときの要点の1つが、みんなが「かっこいいな」「かわいいな」「楽しいな」「美しいな」と思う。そういう要素がすごく重要じゃないかと思っています。

今日お二方が紹介してくれるのはゲーム、あるいはワークショップです。大切な問題をどう楽しく理解してもらって仲間を増やしていくか。この部分についてご説明いただけるのではないかと思っています。

まずはお二方から詳しい内容を報告してもらって、そのあとに、進めていく上で難しい点や、活動が市民社会にとってどういった意味を持っているのか、あるいは自分たちが感じている課題はどのあたりであるのかを聞いてみたいと思っています。

「楽しさ」を感じながら進めてもらうために

山崎:最後に、われわれの活動を紹介します。われわれも「楽しい」という要素を入れていこうと思って、ワークショップの場にたとえばこういった模型を使います。

これは市の施設を作るときに「5億円の予算しかないんだ」と言われたら、5億円でどんな建物をどう建てたらいいんだろうというのを、それぞれのテーブルごとに簡単な模型とイメージ写真、金額が書いてあるような模型を配って、その市民が5億円のなかでどう施設を組み立てたらうまく収まるのかということを話し合おうというワークショップをおこないました。

これ、7つのテーブルがあるんですけど、テーブルの片隅にさりげなく計算機を置いておくと、だいたい市民のなかの真面目そうな人が計算機を叩いて「あかん、6億超えてるで、削って」という話をしはじめたりします。

この人たちが、自分たちで「自浄作用」ですね。行政に要望、陳情するだけじゃなく、予算内に収めるということを楽しみながらゲームとして進めていくということがわかりました。

なかなかうまくいったなと思うんですけれども、こういうことをやろうと思うと、僕らはその下準備を進めることが仕事になります。なので、泥臭い仕事ですね。7テーブルに置く、色を塗った四角いスタイロフォームをたらふく用意しておかないといけないんです。

なので前の晩、スタッフはこれを塗って乾かしていたので、寝る場所がなくなるということになりますね。こればっかりつくって、本番までひたすらこれを切って塗るということをやっていました。

まずはゲーム仕様にして体験してもらう

山崎:たとえば東京、墨田区で食育計画をつくってほしいということを言われたときは、その計画を本にするだけではなくて、計画の内容を反映させたカードゲームを作りました。

「アイデアのカード」「いつまでにそれを実行するのかチェックするカード」あるいは「墨田区の現状を把握するカード」などを使いながら、プロのファシリテーターがいなくても地域ごとに話し合いができる状態をつくっていこうということで、このカードは今年から墨田区で早速使われるようになってきました。

最後は、和歌山県の新宮市でワークショップをやったときには、特別なボードゲームをつくりました。駅があったり、港があったり、山があったり、新宮市の地形にあわせて人生ゲームをつくってサイコロをふって、自分が止まったところに街、山、川、海、とあって、それぞれ課題カードや魅力カードを引くパネルがあります。

なので、水色のところに止まったら課題カードを引かなければいけない。1枚引いてみたら「商店街が寂しいことになっている。どうしたらいいですか?」という質問が書いてあって、これを人生ゲームのメンバー全員で話し合って、「こうしたらいいんじゃないか」と議論する。

解決策が出ない場合には、またサイコロをふって、次に止まったところで魅力カードを引く。それで「こういうオモロイおっちゃんがいる」というカードを引いたら、「じゃあ、こういうおっちゃんと商店街でこういうことをやったらおもしろいのではないか?」と競いながら、地域の課題を把握していく。そしてそれを解決していくアイデアを生み出していくということをやりました。

これは実際にやると、要望、陳情するだけじゃなくて、市民参加 3.0。つまり彼ら自身に活動を起こしてもらうというのが最終の目的です。したがって、最終的にはアイデアを出して、そのアイデアを自分たちで実行していってもらうというのを目指しています。

正しいことと、楽しいことをシンクロさせて取り組む

山崎:われわれが関わっているプロジェクトは常に、その地域で実際にプロジェクトを起こして動いていってもらうというかたちをつくっていく。そのために、やはり正しいこと、楽しいことの2点が必要だということを日々実感しています。

田舎のほうにいくと、おっちゃんとかがずっと「俺はこう思う!」「ちがう! こうだ!」と議論しているんですね。眺めていると、どっちかが最終的に議論に勝つんです。「どや、まいったか! 俺の言ってることが正しかっただろう」と。

すると片方は「お前の言ってることが正しいのはよくわかった。ただしお前のことが嫌いになったから一緒にはできない」と。それじゃ意味ないんですよ。僕らは一緒に活動するチームとしての市民参加 3.0をやりたい。

だから「議論に勝った、負けた」ではなく「楽しい、一緒にやりたい」とかそういう気持ちを醸成してほしいと思っていますので、正しさだけでこのプロジェクトは進んでいくわけではなくて「楽しいことをプロジェクトのなかにどう練りこんでいくのか」このことに日々注意しています。

というわけでこの後、永田さんとラッティゴーンさんにお話いただきますけれども、それぞれがゲームやワークショップのなかにどのようなデザイン的要素を取り入れているかということに少し注目していただいて、その後のディスカッションでより詳しいことを聞いていければと思っています。どうもありがとうございました。

「風、水、土」の3つのカテゴリについて

永田宏和氏(以下、永田):みなさんこんばんは。NPO法人 プラス・アーツの代表をしております、永田です。よろしくお願いします。山崎さんとは久しぶりに会うんですけど、楽しみにしていました。

コミュニティデザインという言葉がありますが、私たちも同じような分野で働いている人間でして、特に防災に特化した活動を行っています。

最初にちょっと結論めいたことを言ってしまいますが、地域やコミュニティデザインをするにおいても、地域を元気づけていくにおいても、風、水、土という3つが必要じゃないかと思っています。

これは最近海外でも話すようになったんですけど、ほぼ全世界で共感を得ているので、今日は皆さんにも共有したいと思います。それで、今日は絵にしてみました。私はあまり絵がうまくないんですけれども(笑)、自分で一生懸命描きました。

これはそれぞれに「人」がついてますね。土の人、風の人、水の人っていう3つの存在が地域には必要じゃないかと。土の人は動かない存在ですから、わかりやすいんじゃないかと思います。地域に暮らす市民の人を土の人と呼んでいます。

おそらく日本でも江戸時代から昭和初期くらいまでは土の人だけでお祭りをやったりして、交流して豊かな社会をつくっていたと思うんですね。ですから災害でダメージを受けてもリカバリーが早かったり、助け合ったりしたこともあったと思います。

ところがいまは、働いている場所は地元と別で、家には眠りに帰っているだけ。隣に住んでいる人が誰かもわからないといった状態が、特に都市部で生まれています。そういう、土の人だけで交流できずコミュニティが崩壊しているというのが現状で、それをどう打開するのか。

「風の人」の役割は種を運ぶこと

永田:そこで注目されているのが、風の人なんですね。風の人はなにをするかというと、種を風で運んできます。種っていうのは活動、イベント、プログラムを指していまして、そういう刺激を与えるような活動を持ち込まないと、地域だけで「こうしましょう」というのは難しいんですね。風の人が種を運んできますが、風は違うところにいかなければなりません。

風が去ったあと、土の人が勝手にやってくれるかというとそういうわけではないので、そこに水の人が必要なんです。中間支援、世話役をする人です。種の世話をしていく人たちなんですけど、これはいろんな人がやっています。

日本でも、地域のおばちゃんでもこういうのが得意な人がいたりとか、学校の先生がやっていたり、行政の中にもそのセンスがある人、様々なタイプの人がいます。海外でもそんなケースはたくさんあります。

ちなみに私は風の人なので、水の人のマナーはわからないんですけど、はたから見ていると、水のやり方がうまい人かと思います。最初はしっかり水をやって、根を張るまで支援するんですけど、だんだん土の人が自分たちでできるようになっていくと、水を減らしていく。

そのまま水をやり続けると根は腐ってしまいますので、いい塩梅でサポートするのが、水の人の技かなと思っています。

どんな種の種類があるのか?

永田:私は風なので、「風のマナーはなにか」と問われると、種にこだわるしかないんですね。いい種を持っていくというのをひたすらやっていくしかないと思います。じゃあどんな種づくりの極意があるかというと、2つほどあるんじゃないかと思います。

これは経験則ですけど、振り返ってみると、種が地域に定着していくためのキーワードが2つあります。

1つは「不完全である」ということですね。人が関わる余地を残しておくということだと思います。もう1つが「クリエイティブの力で魅力あるものにしないといけない」ということです。それは、こういう絵になります。

真ん中が光り輝いているのは魅力があるということで、「+クリエイティブ」によって美しいとか、楽しいとか、感動できるとか、普段できないことができるとか、そういう魅力によってはじめて人々は惹きつけられていくわけです。

それでさっきの地域のスーパーおばちゃんみたいな人が「手伝って、あれやって、これやって」と言って、一緒につくっていくんですね。このプロセスを経ることで、私たちが持っていったものが地域の人のものになっていくという状況ができるんです。

このプロセスが大事で、こうなってないものというので私が代表的な事例として挙げるのが「サーカス」や「アンパンマンショー」です。どういうことかといいますと、そういうものが地域に来たらたくさんの人がやってくるでしょうけど、全員お客さんなんですね。

それが終わるとみんな帰ってしまって、結局はショーが地域に根ざしてずっとやられるわけではない。

ところが一緒につくっていくと、地域のものとして定着していきますよ、と。その余地を最初から考えて種をつくっているかというのがじつは非常に重要で、余地を残しつつ魅力がないと人は寄ってきてくれませんから、この2つが大事なのかなと感じています。

都市での震災被害を乗り切るためにつくられたものとは

永田:その代表的な事例が「イザ!カエルキャラバン!」です。一言でいうと、楽しい防災訓練です。この原点は、20年前の阪神・淡路大震災です。まだ覚えておられる方も多いと思いますが非常に大きな地震で、6,000人以上の方が亡くなりました。

道路も陥没し、鉄道も打撃を受けました。火事もたくさん起こりました。朝の5時46分に発生したということもあり、家が崩れて、圧死の方が8割以上だと言われています。

そんな厳しい状況で誰が助けてくれたのかといいますと、結局は地域の人や家族に助けられているんですね。95パーセントがそうだと言われています。

でもいま、直下型地震が東京に起こったとしたら、どうでしょう? どのように助け合うかというのには、疑問符がつきますよね。そんななかで、なんとかしないといけないということで、まずは神戸からはじめました。

このプログラムは震災から10年経った時期に、兵庫県や神戸市から依頼を受けてつくりました。まずやったのが徹底的な調査です。なにを調べたかというと、当時のことを一番よく知っている、被災者の声を集めました。

被災地で一番役に立った知識、技術を教えてもらおうということなんですね。それこそが本当に使える知識、技術になるのではないかと考えました。

それをまとめて本にしたものがこの「地震イツモノート」です。このとき、「+クリエイティブ」という観点から、イラストを描かれるクリエイティブディレクターの寄藤文平さんと組んで、この本をつくりました。

災害時に車のジャッキが使えたとかそういうことを、大人向けの講座ではなく子どもを中心とする地域に暮らすたくさんの家族に伝えるには、少し一工夫要るよねということで、「+アーツ」と。これは「+クリエイティブ」と同義なんですけれども、アイデアやデザインに趣向を凝らしました。

ここでやっているのは防災訓練なんですけど、少し違うのは、カエルのキャラクターがいて非常に楽しくなっているということかと思います。プログラムは当時、学生さんたちが20人くらい集まってつくりました。

若い発想でどんどんアイデアを出して、子どもたちに人気のものをプログラムのなかに使っています。

ゲームで理解する防災訓練

永田:これも、ジャッキの使い方はそのままだと楽しくないんですけど、「なまず(地震の象徴)に押しつぶされているカエルの人形を助け出す」ということで、こういうプログラムをつくったり、家にある毛布を使って人を搬送するとか、こういうキャラクターを使ったり折り紙の技で食器をつくるというのをやったり。

小さいお子さん向けには体操で防災を教えるとか、人形劇や紙芝居もおこないました。さきほど山崎さんが紹介されていましたけど、私たちもボードゲーム、カードゲームが得意でして、いままでに5種類くらいつくりました。

たとえば、シャッフルゲームですと、災害時に役に立つ技が、4枚の手順のカードで構成されているんですが、ポイントは「1、2、3、4」と番号をふってないことです。バラバラにしておいて、子どもたちが自分で並び替えていくというインタラクティブな仕組みになっています。

それで、カードの裏には正解が書いてあって、正解するとポイントがもらえるという単純なゲームなんですけど、他の国の子どもたちもイラストだけで理解をしますし、最近では海外バージョンもできてますが、非常に簡単な構造です。

これは、東北の津波の被災者50人の声を集めてつくったマンガ教材です。3コママンガになってるんですけれども、3コマにすることで、災害時の状況が子どもたちにも理解できます。ポイントとしては最後のメインの1コマのセリフがブランクなんですね。ここを子どもたちが考えます。

22、3のストーリーを通して津波のことが学べるようになっているのですが、いまは日本語、スペイン語、英語、タイ語、トルコ語の5カ国語に翻訳されて、いろんな国で使っていただいています。これは、今日登壇されるラッティゴーンさんと一緒にやって、現在タイで広がっている防災キャンプです。そこでも、タイ語で翻訳されたマンガ教材が使われています。

それで、日本の状況なんですけれども、神戸発、今年で10年目を迎えていまして、23都道府県で、250回開催しました。全部自分たちの呼び込みではなく、向こうから来て欲しいというオファーを受けて支援に行って、1年目だけ支援をして、2年目以降は自分たちでやってくださいというかたちでどんどん広がっていきます。

ですから最近は私たちも支援にいくことがあっても、その後の多くの仕事は、機材をお貸しするとか、レンタルをおこなうという状況です。

国内にとどまらず防災教育をおこなっている

永田:これは、たくさんあるうちの1つ、京都の事例です。消防服を着てますけど、防災の人たちだけでなく、地元のいろんな団体が集まって防災をテーマにしたお祭りのような状況になっていますね。

スタッフが100人以上いるみたいな地域も結構ありますし、実行委員会ができて、継続的に定着していくという状況があります。

海外に目を向けると16カ国まで広がっていまして、JICAさんや今回の国際交流基金さんもそうなんですけど、このプログラムでの防災教育を日本の1つの文化だと位置づけてくださっていて、私たちがやり方を教えるんですね。

国際的な場での本当の支援とは、魚を渡すのではなく魚の捕り方を教えるということだと言われていますけど、私たちがまさにそうで、防災教育のやり方を教えにいってるんですね。その後、現地用にカスタマイズされ定着していくというプロセスがあります。

そこで重要なのは、リサーチから始めるということなんです。東南アジアを中心に、ほとんど彼らは過去の災害の記録を残してない。彼らは前ばかりを向いてるので、振り返って記録を残すということをしてないんです。ですから、過去さんざん痛い目にあっているのに、被災者の声を残していないケースが多い。そういうことをきちんと掘り起こして、リサーチし、残していく。

それからレクチャーをやって、やり方を伝えていきながらまず一緒にやってみる。2回目以降は自分たちでやっていただきながら、自分たち用にアレンジして続けていってもらう。そういうことを続けています。

ですから、これはインドネシアであったり、グアテマラでは、グアテマラ人が周辺の4カ国に教えにいってくれているという状況も生まれています。

そしてモンゴル。ブータンでは、高校生に教えて、高校生が小学生に教えてくれています。トルコではご覧の通り「カエルキャラバン」ではなく、勝手に「クマキャラバン」に変わってるんですけど(笑)。

興味深いのは場所ごとにローカライズされていくこと

永田:じつは、シンボルキャラクターもどんどんローカライズされるケースが多くなってきました。それからミャンマー、タイ、フィリピン、チリですね。今月末からまたチリに行くんですけど、チリも非常に防災に力を入れています。

チリでペルーの人にお会いして「ペルーに来てほしい」ということで、チリの人に行ってもらおうかという話をしてるんですけど、最近はアジアで学び合いの動きが広がりつつあります。

これが非常におもしろいんですけど、ローカライズも広がっておりまして、見ての通り、使っている資機材がどんどん地域の人によってアレンジされています。カエルの人形は私たちがつくって最初は貸し出しをするんですが、だんだん自分たちでつくるようになってくる。

地域には手芸の得意なおばあちゃんがいて、一緒につくっていくと。ですから世界中にカエルの親戚がたくさんいまして、モンゴルにもこんな怖い親戚がいます(笑)。

それでもっとおもしろいのは、日本では毛布を使いますけど、暑い東南アジアでは毛布がないんですね。そうするとみんな工夫をして、家庭にあるものを見つけてきて担架をつくる。

インドネシアでは伝統的な巻きスカートと竹の筒を使って担架をつくったり、水消火器の的も、日本ではおじいちゃんたちがつくったりするんですけど、これはPTAのお父さんが大工仕事が得意ということでつくってくださったり、そんなにお金をかけたくないという国では、ペットボトルを使っていたりします。

これも非常に興味深いんですけど、日本では新聞とポリ袋で食器をつくるんですけど、フィリピン、インドネシア、タイではそんなに新聞が一般の家庭に流通していなんですね。ですのでそういった国ではバナナの葉で食器をつくるという伝統的な手法を伝えていきます。

すべて、地域の人が最初は日本の方式を取り入れながら、どんどん自分たち用にアレンジしていくっていうプロセスですね。最近はゲームもそうなっていまして、そのまま使っていただくのは1回目くらいで、2回以降は中身も、デザインも、現地の人がやるという形です。

その究極が、シンボルキャラクターが変わるということで、インドネシアでは子鹿になってまして、人形も子鹿の人形を使っています。

フィリピンでのゲームを基盤にした訓練

永田:ちなみに、どういう支援をしないといけないかということで、今回は2つの事例を持ってきました。これは、すべてフィリピンの人たちがつくり、私たちはサポートのみをおこなった「MOVE Philippines」という活動です。

2010年の台風センドンで600人以上の方が亡くなったカガヤン・デ・オロという地域で、地元のキャピトル大学の学生たち25人が担い手となってワークショップ形式のプログラムをつくりました。

いろいろなゲームや、ゲームのつくり方を紹介しています。これがまさにつくっているプロセスなんですね。4、5日かけたと思いますけども、ここではラッティゴーンが相当がんばってくださいました。僕もゲームづくりはやりますけど、彼女には絶対かなわないので(笑)、彼女にサポートしていただきました。

僕らが知らないゲームをたくさん知っていますから、「こういうことを教えるのにはこれがいいんじゃないか」ということを教えてもらいながらつくっていきました。

それで「キャラクターはなににするか」といったとき、フィリピンには世界一小さい猿がいて、これをキャラクターにしたいということで、兄弟の猿のキャラクターになりました。あとは現地のデザイナーがすべてのグラフィックをつくってくださいました。

これは4、5日でつくったゲームが原型で、向こうのデザイナーが形にしてくれてるんですね。

そうやってできたゲームです。これは日本にないんです。むしろ日本に逆輸入しようかという話もあったり、これをインドネシア語に翻訳してインドネシアで使おうかとかという話が出てきています。そして、サルの人形もできて、ござを使ってそれを運びます。

そういうふうにどんどんローカライズが進んでいくなかで、先日、4月に地震のあったネパールに行ってきました。来年から本格的に関わろうとしているのですが、学校の先生たちを担い手にして防災教育を広めようと考えています。

まずは被災状況をリサーチして、街のいろいろな文化状況とか、社会状況のリサーチから入るんですけれど。学校の先生たちに日本の教材を見てもらいながら事前の声を集めて、被災したときの状況を聞きました。

そして、先生を担い手にしたワークショップをおこないました。この写真はなにをやっているかというと、さきほど「とっさのひとこと」っていうマンガ教材がありましたよね。あのマンガを学校の先生たちが自分でつくってるんですね。

誤った防災に対する認識が生んだ悲劇から学ぶ

永田:ネパールで僕が一番びっくりしたのは、防災教育を間違えると人を殺す可能性があるということです。じつは4月の地震の前に赤十字が防災教育を始めていて、なにを教えたかというと、「揺れたら机の下にもぐりなさい」とだけ教えてたんです。

ところがあの地震が起こったのは土曜日のお昼で、子どもたちは休みの日で、外で遊んでたんですね。

するとどうしたかというと、揺れた瞬間、みんな机の下にもぐるために危ない家の中に走っていったんです。それで家が崩れて亡くなった子どもたちがたくさんいるんです。じつは広場が一番安全なんですね。

でも防災教育をひとつ間違うと人の命を奪うことがあるということで、これはなにをしてるかというとその話をマンガにしてるんです。そういった地元の人にしかわからないことをちゃんと伝えたいと。

事前に訪問したときに多くの先生が言ってたのは「やり方を教えてほしい。避難訓練の仕方がわからない」と。日本の学校と違いますし、1つのパターンが通用しない世界でもあるんです。なので先生たちが、自分たちで考えられるようにノウハウを伝えていくことが重要だと思っています。

防災対策もこういうふうにアレンジしてもらったり、カードゲーム内のアイテムを変えてもらったりしながら、ワークショップをして、プログラムを全部オーガナイズしていただいて、実際に子どもたちを集めてやってもらっているところなんですね。

11月にうちのチームのメンバーが行くまでに先生たちは新しいゲームのプログラムをつくって学校で実施して、それをレポートにするということで、これからフォローアップをしていきます。

計画としては、この先生たちをトレーナーにして、より多くの先生に伝えていくという仕組みがつくれないかということを考えています。

最後の話なんですけど、今日は国際交流基金アジアセンターさんの主催ということで、私たちがお手伝いをしているアジアセンターさんのプロジェクトのご紹介です。

種にこだわって、いい種を持っていって支援してるんですが、最近どうなってきたかというと、人をつくらざるを得ない状況なんですよ。僕らが動ける範囲にも限界があるんですが、ここに来てほしいという要望は絶えません。

ですので、代わりに行ってもらう人や、その国に風の人や水の人をつくらないといけないんです。

災害とクリエイティブの両面を併せ持った人材をつくる

永田:そして立ち上がったのが国際交流基金アジアセンターさんの「HANDs!Project」です。これは、去年までアジア6カ国、今年8カ国になりました。インドネシア、フィリピン、タイ、インド、ネパール、ミャンマー、マレーシア、日本ですね。

この8カ国から選抜された18~35歳の、NGOやクリエイティブ分野の25人くらいのメンバーを研修して、防災教育の担い手として育てていくというプログラムです。

2020年まで7年間継続して開催されるということが決まっていて、各国に担い手をつくりながらネットワーキングしていこうというプロジェクトです。まさに、災害とクリエイティビティーの両方をあわせたプログラムをつくることができる人を育てていくための研修です。

7年間で200人くらいの卒業生が巣立っていくことになりますから、その200人の人たちとどうネットワーキングをしていくのかということが大事だと思っています。

じつは「もうそうなってきたな」と思っているのが、私はそれぞれの国で別の国際交流基金の事業をやっているんですけど、そこに、去年のメンバーと今年のメンバーがコミットしはじめてるんです。

つまり、単なる研修で終わるんじゃなくて、研修した後、一緒にやる場がないといけないんですね。一緒に汗をかいて現場を経験しないと絶対成長しないんです。

そういう意味では、私自身が各国でやっているプロジェクトには彼らにどんどんコミットしてもらおうと思っていますし、一緒に汗をかくことで研修では伝えられないことも伝えられると思ってます。

そうして、「HANDs!Project」と既存のプロジェクト、新しいプロジェクトを通してどんどん活躍の場を増やしていきたいです。去年は9月、10月にインドネシアとフィリピンを回って、2月にタイ、日本を回りました。

去年は被災地支援をテーマにやっていましたので、被災地で被災者の声を聞き、現地のNGOの活動を聞いたりしながら、その訪問地でアクションプランを考えていくということで、そのプランがだんだんブラッシュアップされていくということを考えています。

日本ではプラス・アーツがツアーの企画などをやらせていただいていて、今年も、来年の3月に向け企画を考えます。去年は被災地を回ってそこでの素晴らしい活動に触れてもらったんですけど、今年はもう少し防災教育のプログラムをつくることができる人をしっかり育てようということで、プログラムを制作するノウハウを学んでもらうことをかなり重点的にやっています。

インドネシアでは、卒業生の1期生が、地元の医学生に防災の技を教えるようなワークショップを企画するなど、活躍の場が広がっています。じつはアクションプランに関して1年目は研修なんですけど、そのプランを実行していただくのが2年目なんです。

研修の最後にアクションプランをつくって、それを国際交流基金アジアセンターさんのほうで支援してくださるようなサポートもします。

今年は、インドネシアでのツアーがちょうど今日終わりました。インドネシアはアチェに行きまして、津波ミュージアムに行ったり、被災者の方の話を聞きました。

去年はプログラムをつくってもすぐに実行しなかったんですけど、今年は実践をどんどんやろうということで、「TV Eng Ong」「Tikar Pandan」というインドネシアの有名なアーティストグループが被災地を元気づけるようなプログラムをやり続けていまして、その枠を使わせてもらって、彼らが被災者から学んだことを実際に演劇にしたりクイズショーにしていました。

プロジェクトを核にして、人の輪を広げること

永田:今年のメンバーは本当にレベルが高くて、すごくよくできていました。やはりやった後にチームワークも生まれましたし、これからやっていこうというモチベーションも高まった気がしました。

フィリピンで良かったのが、2期目の人たちの前で、1期目のメンバーがワークショップを披露する。それを体験することで、自分たちはこういうものをつくるんだなというのをわかっていただきながらモチベーションを高めていけたことでした。

その日の夜、タクロバンでワークショップをやったら、本当にレベルの高いアクションプランが生まれました。ですから、去年、今年などが関係なく、研修から巣立った人たちがコラボレーションしながら、防災のプロジェクトが広がっていくのではないかと思います。

インドネシア、フィリピンツアーの滞在中に、来年はミャンマーの支援をやろうという話が生まれたりとか、アチェでは防災教育がまだ全然だめなので、それをこのメンバーでできないかという動きになっていました。

これからどんどん「HANDs!Project」を核にして、人の輪、そしてプロジェクトの輪が広がっていくのではないかと思っています。私のほうからは以上です。ありがとうございました。